震災と幽霊

熊本の余震が続くだけでなく、日本各地にM3~4の地震が広がっている。
世界では、3月30日ハワイ島北部、4月10日アフガニスタン北東部でM6.6、4月13日ミャンマー西部でM6.9、4月14日熊本でM6.5、4月16日熊本でM7.3、4月17日エクアドルでM7.4の地震。
地球が大きく変化しているんだろうね。

2011年の大震災で津波が起き、原発が壊れたショックからか、『絆』という掛け声で、他人を思いやる気持ちが急速に広まった。そのとき余計なおせっかいも起き、地元の人々はしだいに嫌気がさし、世間もその話題に触れたがらなくなった。

先月マスコミが思い出したように3・11を大々的に取り上げた。しかしその報道が人々のこころに、前向きな火を灯すことはなく、なんとなくしらけたムードが広がったように感じた。その矢先に起こった熊本の大地震。このタイミングに深い意味を感じる。

人類の歴史は、多種多様な社会現象の歴史の裏側に、その精神性がどのように成長(またはその逆)したかという精神の歴史もあるとおもう。
そして大きな災害や戦争が起こるたびに、その精神性が浮き彫りになる。

一昨日こんな記事を見つけた。宮城県石巻で、被災後にたくさんの人が幽霊を見るという報告が相次いでいるという。
http://jyouhonet.com/shinnsairei-512

その幽霊が本物かどうかという話はさておき、なぜたくさんの人が幽霊を見るのか?
幽霊を見る人は、必要以上に怖がらないという。恐らく心霊現象は、人間の精神活動の一部に昔からある、ごく当たり前の感覚だからかも知れない。
子ども達に、鬼やお化けの紙芝居を読むと、一人残らず真剣な顔になる。その目をよーく見ると、単に怖わがっているのではなく、遠い記憶や叡智と結びつけた、深い洞察の目をしているように感じることがある。

精神の成長は、単に知識や情報を詰め込むだけでは発達しないのはご承知の通り。
祈ったり、瞑想したり、スピリチュアル・イベントに参加したり、特定の宗教に依存しているだけでもダメだとおもう。
環境が大きく変化した時に、何を感じ、どう受け止め、どのように行動したかによって、精神は成長もするし、堕落もするとおもう。

一つの実話がある。

当時29歳の山口勇子さんという方が広島に住んでおられた。
アメリカに原子爆弾を落とされた1945年8月6日午前8時15分、被爆し生き残った。
そして8年後の1953年に 『再び原爆孤児を作らない』 と誓った。
そのとき彼女は37歳、3人の子どもの母親でもあった。
被爆で両親を失った孤児たちの精神親になるための活動を始めた。
精神親とは精神養子とよばれる、孤児たちの精神的支えになる親のことだ。
毎月千円(今の一万円くらい)を彼らが18歳になるまで仕送りし、励ましの手紙を送り続ける事。
それによって85組の精神養子が縁組された。
http://www.miomio.tv/watch/cc267718/
この映像を見ても、被爆からの8年間で彼女が見た現実の受け止め方がどんなものであったのか、僕には想像すらできない。
でもこの活動を通して、人類の精神性は間違いなく成長させられたのだと感じる。

僕が子供のころ、物乞いをする人が多く道端にいて、それは卑しいことだと教えられた。
今の日本で、そういう人をあまり見かけない。では日本は精神的にも豊かになったのだろうか?

精神が成長する段階では、物乞いしないだけでなく、『命乞いをしない』という感覚があるとおもう。
自分の命に執着せず、その命が燃え続けている間、周りを活性化する行動をする。
頭のいい人は頭脳労働で、体が丈夫な人は肉体労働で、精神が豊かな人は精神労働で、周囲をさりげなく活性化することで、本人も周りの人も精神が成長するとおもう。

現代社会では、豊かさをお金という尺度だけで評価、選別するので、不公平な社会という愚痴がでるんだとおもう。
視点を変えれば、自然界はもともと不公平で、あらゆる生き物が命乞いせず成り立っている。
そこへ必要以上に自分の命へ執着し、悶々とした人間が、己の満足のために自然界のバランスを壊してゆく。

考えてほしいのは、一生使いきれないお金を所有した人が、なぜもっとお金持ちになろうとするのか?
それは幾らお金を手にしたところで、達成感はやってこないということだろう。
自分が所有していると思っているものは、地震や津波に襲われれば消し飛んでしまう儚さを知っているし、死んでしまえばあの世に持って行けず、残されたものへ災いの種を撒いてしまうことも知っているはず・・・。

現在所有していると思えるものは、本来貯めたり、飾ったりしておくためのものではなく、お借りしていると考えたらどうだろう?
子孫たちに、真の平和や幸せを追求できる環境を作り残してゆくために、どう表現するかを任されているだけとは思えないだろうか?
精神が成長する活動には、そこにスローガンはあっても、ビジネス特有のディール(駆け引き)は存在しない。
社会活動のアイデアや行動が、人類の叡智から湧き出ていて、その基本クロックが為替レートや株式市場のような人為的なものではなく、自然のリズムに同調していたら、エルニーニョや放射能汚染は無かったかもしれない。

精神を成長させながら力強く生きる人は、自分の命が自らの所有物でないことを知っていて、自然の摂理を信頼し行動しているのだ。
幽霊達は時々それを見に来るんだとおもう。

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